8月18日?

2007年8月18日コメント (2)
8月18日?
下で祝辞を頂いた方々はどうもありがとうございます。
こんなにおめでとうって言ってもらえたことが
生まれてこの方無かったので、そっちのほうが嬉しい位です。

〜ここ3日間のおおまかな流れ

16日
午前中に試験の合格発表なので前夜はロクに眠れず。
県のHPにて合格確認し、家族や友人等にマルチポスト。
夜にCDを持って浅草のnagireo宅にてピットイン。
相変わらず落ち着かせてもらえてありがとう。

17日
枕が替わると眠れないので、寝不足で出発。
余裕かましてたら遅刻ギリギリダディでした。
自分で電車を一切調べなかったことが一番の問題だった。
ともあれ無事に終わって、あるごると3人でふらついた後、
ガムと遠藤と合流し群馬へ戻って、mario兄を迎えて色々。

18日
mario兄さんを送った後、4人で温泉行って帰った。

〜公務員試験について

どの試験を受けたかは前回の日記にある通りです。
試験を受けるきっかけや、試験の内容や詳細、
転職したいと思っている理由等をぐだぐだ書きます。
長文なので読む人はごめんなさい。
まずは受けるきっかけですが、これはフォフォフォによるものが大きいです。
仕事をすっぱり辞めた上で挑戦すると聞き、相当な勇気をもらったのは本当です。
オレは氏に比べて自己愛が強く保身的なので、
仕事を辞めるほどの決意はまだできなかったけれども、
そのうちに転職する意志はあるので受けたいとは思ってました。
これまでに6回も受けるくらいポリになりたいという気持ちはあったし、
今年はそっち関係だけ受けて、来年は仕事やめて公務員試験一本で勝負だ、と半分くらい本気で考えるようになりました。
というわけで今年は、来年度採用のG県警とG県職員のK察事務だけ申し込んだわけです。
G県職員の試験についてはあまり日記に書かなかったです。
理由は察してください。
6月24日の日記でちょろっと書いたくらいですね。
K察官に関しては泥酔で試験すら受けられませんでしたが、
こちらの試験の一次試験は無事に通過しました。
去年の実績で321人受けて最終合格者7人。
そのうち一次試験通過者が20人という数字がどの程度なのかは
人によると思いますが、K察官より倍率が高いので、
最初は全然期待してなかったんですよ。
ただ試験が短大卒以上から受けられるので、
受験者のレベルが大卒のみ対象の試験より低いことと、
一次試験が教養試験オンリーなので滑り込みで申し込みました。
短大卒以上、というのは予想以上に大きかったです。
これまで大抵の試験では時間前に退室する人はそう多くは見かけなかったのですが、今回のそれの多いこと多いこと。
出口に一番近い部屋の廊下側の席だったのでよく分かったけど、
30人以上いたような気がします。
ただそれ以上に、教養試験オンリーってのが大きかったです。
県の行政職と同じ日に行う試験で、専門と併せての受験が必要なそっちに
優秀(ここでいう優秀はもちろん筆記試験においての話)な人間の
大部分は流れると予想できたこと、
そして自分自身が専門科目を殆ど勉強していないこと、
これらをあわせれば教養オンリーというのは大きな追い風になりました。
公務員試験をやったことある人は知ってると思いますが、
専門科目は学習時間の絶対量がどうしても求められます。
それに対して教養試験はそんなに求められません。
今回の受験にあたって教養の勉強したかと言われると、
本当に全くと言っていいほどしませんでした。
合計で4時間くらい数的推理の問題集を解いたくらいです。
社会人として仕事をしてると、勉強する時間なんてとれません。
家に帰ってから勉強するほどの時間も根性もありませんし。
自分の場合、普段の仕事において勉強を教えているということが、
そのまま活かせたのがよかったとは思いました。
勉強というよりは勉強の仕方、問題の解き方を教えるのが塾講師の仕事なので(メインは教室長として営業や管理だけど)、
それを今回の試験で自分で実践できたと思いました。
点数的には威張れる程の点数では無かったです。
一次試験は310点満点で、教養試験が1問6点で計50問。
それに加えて資格加点という制度があり、英検2級またはTOEIC470以上という高卒レベルの英語力があると10点分下駄が履ける、というものです。
残念ながらどちらももっていませんが、310点満点で222点でした。
順位は一次試験受験者252人中5位でした。えっへん。
50問中37問正解ということで、7割強なら十分ですよね。これ以上の上積みは俺には無理です。
参考までに今回の教養試験でつかった攻略法とかを書いておきます。
終盤の18問くらいが判断推理、数的推理、資料解釈でしたが、
フルコンした自信がありました。
今回はいままでの経験を活かして、開始直後イの一番に資料解釈を解きました。
時間さえ確実に取れる問題はとりこぼさない、そう決めていたからです。
その後頭に戻って教養問題を脊髄反射で解いていきました。
ここは知ってりゃ解ける、知らなきゃクジ引きですので、
時間をかけずに高校時代の政経の知識を頼りにサクサクと。
地理歴史理科等は苦手なので勘です。数学だけはガチ。
現代文が4問、英語が4問くらいでましたが、ここは実力勝負なのでじっくりと解いていきました。あんまり間違えなかったと思います。
そして判断推理、数的推理で全てが決まるわけですが、
判断推理は今回はいままでとちょいとやり方を変えてみました。
「場合分けを面倒くさがらない」という一点だけですが…。
でもこれをやったおかげか、判断推理は全て自信を持って答えられました。
数的推理ですが、唯一自信が無かった問題もありますが、
その他は立式ふくめて完璧に解けたと思います。
ここでも場合分けは重要でしたね。
面積だけは自信がないです。等積変形して大体の数字を出して
一番近いものを答えで書いておきましたが。
全部解き終わったのが4分前くらいでしたが、かなり納得のいく出来でした。
7月8日に一次試験の結果発表で、自信が多少はあってもドキドキでした。
会社の健康診断があったおかげで、そのデータをもとにして健康診断書を提出できたのは僥倖でした。
面接カードの提出もありましたが、今回は今までになく細かい字で埋め尽くしました。
自分の長所欄には「コミュニケーション力」について書きました。
短所欄には「真面目すぎる」と書きました。
その他もろもろのこともしっかりと答えを用意した上で書きました。
順番がいつも逆だったんですよ。書いてからどう答えるか考えてました。
どう考えても先にどう答えるか考えてから書くべきですよね。
7月30日にクレペリン、適正、論文の試験がありました。
クレペリンは失敗でした。
練習で意気込んで得意げに終わらせて周りに重圧を与えようなんて
やましいことを本気で考えていたら、寝不足で集中力の持久力に欠けるせいで、モロにそこでばてました。
尻下がり気味の最低曲線になってしまい、自分の阿呆さをのろいましたね。
前夜にゼロ使がニコ動にうぷされるまで寝ないぞと本気で構えていた罰が当たったなあと試験会場で悔やみました。
大事な日の前の夜は余計なことは控えるのが人間の常ですよね。プゲラ。
適性検査は、自分の性格についてイエスかノーかわからないで答えるものですが、
めんどくさいのでイエスかノーだけで答えようときめていました。
どうだったのかはわかりません。
論文は大好きなので問題なかったと思います。
題目が「『自立』についてあなたの考えを述べよ」
というものでしたが、自分の塾は自立学習を謳っているので
それも自分にとっては大きな追い風だったかも知れません。
むしろ試験が終わった後にメシ食うまもなく
仕事に行かなきゃいけなかったのは本当にしんどかったです。
二日後の8月1日が面接試験でした。
試験開始時刻が午後なので、仕事の定時の14時にはどうやっても帰れそうにありません。
前日の2時くらいまでがんばって翌日分の仕事をやりましたが、
夏期講習期間のせいでとても終わりませんでした。
当日も9時に出勤して11時まで仕事をして、車をすっとばして
県庁へ赴き、面接だけやって速攻で帰りすぐさま仕事というタイトな日程でした。
肝心の面接についてですが、過去に3回受けた県警のものと同様でした。
最初に1分間の自己PRタイムがあるのですが、時間が無くて準備ができず、
会場に向かいながら車の中でメモしつつ実際に喋りながら練習する始末でした。
事故らないように超必死でした。
仕事が忙しく本当に時間が無かったんです。
内容としてはコミュニケーションが得意なのでこういうことができ、
この仕事でこういう風に活かして群馬の安全をうんたら〜
と淀みなくPRできました。
これまでは緊張してガチガチだったんですが、今回も直前は少しは緊張しましたが、
仕事で忙殺されたせいかあまりガチガチに上がることはなかったです。
これに関しては今の仕事に感謝してます。
普段が面接する側になったことで、何を問われているかがよく分かるようになりました。
コミュニケーションが得意と書いていて全然ダメダメな人間を
多く見てきたおかげで、
自分はそうならずに済んだと思っています。
答えに困るような質問にもさらっと笑顔で反撃できてよかったです。
いままで趣味とか突っ込まれなかったですが、始めて突っ込まれました。
会心とまではいきませんが、悔いはなかったです。
面接終了後、2時半頃に出勤しましたが、
遅刻してもばれない、というのはこういうときにありがたかったです。
誰にも告げずひっそりと試験を終わらせられました。
2次試験開場にいた人間を数えなおしたら28人しかいませんでした。
採用予定者数は11人で、実際の合格者は13人でした。
最終的な順位は一次試験の点数と二次試験の点数の合計で決まるのですが、
8位でした。一次より下がってるじゃん…。あぶねえ…。
まあ受かってしまえば一緒なんですけどね。
自分の番号から3連荘で受かってるのはなんか珍しいですね。
さて、転職しようと思ったきっかけですが、今更語る必要もないでしょう。
もともと好きで始めた仕事じゃないし、ストレスは溜まって胃痛に悩まさせるばっかりで、本当に辞めたいと思っていましたし。
具体的には
?本部やオーナーの理念や方針が嫌い
?休みや給与などの待遇
?主に人間による職場環境の悪さ
?将来性
別々に考えますと、?ですが彼らが間違っているわけではありません。
営利団体として利益を追求するのは当然です。
ただ、自分には合いませんでした。
?ですが、今更説明するのもあれですが、納得はいきませんでした。
有給って単語が存在しませんし、休みも少ないと思います。
残業代だせとは言わないですが、フォローが欲しかったですね。
毎日報告の電話をするんですが、そこで何かは言って欲しかったです。
?はむかつく講師の存在と頭の悪い親のせいですね。
詳しくは過去の日記に散々書いてるからいいです。
?ですが、これより上の役職は無いですし、若いうちはいいですが
歳いったら肩を叩かれる、というのを想像するのは空恐ろしかったです。
慕ってくれる講師や生徒は本当にありがたいです。
そういう人たちには本当に申し訳ないと思います。
面談したときに「うちの子は黄先生のことが本当に大好きで…」
とか保護者に言われると、鳥肌ものですよ。
「テストの点が悪かったので、とにかく黄先生のところにもっていくように子供に言いましたw」
とか言われれば、疲れも吹き飛びます。
色々と魅力もある仕事なのは確かなんですが、
根本的に子供が苦手な性格(自分が子供だからなんだけど)なので、
やっぱり向いていないのを二年以上やって確信しました。
あとはどうやって切り出すか、いつまで勤めるか、それだけです。
後を濁す鳥にはなりたくないんで、できる限りのことはしたいですね。
別にフォフォフォへのあてつけではないです。
試験に関してアドバイスしてくれた方々や協力してくれた親父に感謝してます。
ともかく今は月曜日の仕事が16時間超になることにウンザリしながらも
すこりはゆとりを持って連休を終えられそうで良かったです。
問題は始める前から辞める気マンマンな事くらいでしょうか。

大分書きましたがまだまだ終わりませんよ?

〜コミケについて
前回の冬が始めてのコミケ参加だったわけですが、
そこそこに成功を収められたことが嬉しかったので、
さわおに青封筒もらったり、ネフに申し込んでもらったり、
farewellにサーバーを無料で貸してもらったり、
そしてnagireoには泊めてもらったり手伝ってもらったりで、
その他みんなの援助を受けられそうなので、
またその喜びを味わいたくて申し込んだわけです。
前回は夏に申し込んでおいてそれに合わせて制作していて
落ちて冬に受かって出す、という経緯だったので、
余裕を持って曲制作が行えました。
それが今回は短かったため、かなりの苦労をしました。
前回は曲数の目標はなく、できるだけと思っていましたが、
今回はそれが一つの目安になってしまったと思いました。
15曲で30分弱が前回のボリュームです。
それに比べて大きく見劣りしない数字を目標にしていきました。
が、申し込みをネフにお願いした時点で曲を作り始めましたが、
1曲こさえ終わったのが2月に入ってからで、1ヶ月かかりました。
このペースだとやばいなあとは思っていましたが、
仕事は忙しいですし、曲制作は時間もかかるし疲れるので
直前までは平日は一切作業を行いませんでした。
6月終了時点で完成していたのは6曲だけでした。
仕事の夏期講習に追われながら毎晩1時間くらいの時間を捻出して、
7月と8月途中までで連休までに4曲を仕上げ、連休で3曲、
計13曲と踏んでいましたが、ここでアクシデント発生。
社長の父上が亡くなられました。
お通夜に出るか告別式にでるか、ギリギリまで判断は先輩に
まかせることになり、それに備える形で連休に突入しました。
11日の夜からは3日3晩、寝ずに3曲仕上げる気でいたので、
そうもいかなくなったことは大誤算でした。
時間がないことはニコ動というかまあゼロ使のせいでもあるんですが、
さらっとお通夜だけじゃダメだったのかなあ、と思います。
なぜなら今年から入った新卒の社員は初めての夏休みに旅行の予定を入れていて、
お通夜なら出れるけど告別式に出るとなるとキャンセルしなきゃいけないっていう事情があったからです。
何も自分のことだけで言ってるんじゃないですよ。
かわいそうにその新卒の女の室長は旅行をキャンセルしたわけですが、
社長も不本意だろうしお通夜だけのほうがよかったんだじゃないですかね。
話がそれましたが、13曲の予定が12曲になってしまったのは
最後の最後に残念ではありました。
また、ちょっとした誤算としてはCDケースが見つからなかったことがあります。
前回は黒のケースだったのですが、今回は同じ形で白いものに
しようと思っていました。
前回かったところで冬には白いものが売っていたのでそれでいいや
と半年前から決めていたわけですが、どこを探してもありません。
連休初日に市内中をゼロ使のDVDを探すついでに探しましたが、
結局ともに見つからず、
失意のまま近所の家電屋にCD-R等を買いに行ったら、
そこにあったのはクリアーブルーのスリムケース。
見た瞬間にこれしかない、むしろ白が無くてよかった!
とまで思いました。50個単位でした売ってなかったので、
しょうがなく100個購入しました。
あとは姉に印刷作業だけ手伝ってもらい、
ギリギリ木曜日の18:00に完成しました。
旧譜41枚、新譜70枚という数はお持ち帰り覚悟でした。
焼くのも大変ですが、一枚一枚不具合がないか確かめるため
再生するのも大変です。
8倍速まででしか焼けない上に8倍速だとフリーズするしで、
本当にしんどかったですね。
ともかく完成したのでnagireo家に向かったわけですが、
あまりに重かったです。考えが甘かったですね。
紙袋に入れていきましたがnagireo家に辿り着く前に破れました。
最初の反省ポイントですね。
当日はnagireoに手伝ってもらって運びましたが、
文句言わず運んでもらえて本当に助かりました。
意外と体力あるんですよね、あの男は。炎天にも文句言わないし。
俺が切符購入間違えたり清算で戸惑ったりしても冷静に対処してくれて、
本当に頼もしかったです。
国際展示場に着いたのが8時50分ちょい前で、
前回の入り口が使えず初めてのルートで会場に向かいましたが、
本当に地獄でした。
荷物は重いし、行列は進まないし、なにより太陽はあるごる曰く「ツン」だし…。
モンデレにも心配かけましたが、なんとかギリギリ間に合ってよかったです。
スペースではでこちんとモンデレがお出迎え。
すでにバテバテだったので和みました。
nagireoとああでもないこうでもないとしながら準備を済まし、
いよいよ開幕。すでにグロッキーでしたよ。
販売の方は持ち帰り覚悟にも関わらず順調に消化。
11:50には給譜が完売。それに遅れること30分、
わざわざ足を運んでくれた偉大な先輩にご購入いただいて最後の新譜も完売。
前回購入していただいた方に感想や応援いただいたり、
不具合の報告ももらえたり、新規に買ってくれる人が意外に
多かったりと、短い時間ではありましたが充実していました。
でこちんがゼロ使の本をくれたので気力が大幅に回復しました。
本当にありがとう!
そういえばでこちんに3枚も買ってもらったね。
しかもお金もらっちゃったし…。最低ですね。
懺悔します。ごめんなさい。反省してます。大人らしくないね。
あと、サトゥーさんや江戸むらさきくんが飲み物を差し入れてくれたりして、助かりました。
どうもありがとうございました。
今回も買いに来てくれたのに買えなかった人がいたみたいなので、
冬に再販だけで申し込もうかななんて思ってます。
完売したので12:30に、姉のおつかいを済まそうとモンデレに後を託して西へ。
これが市への行軍になるとは思わなかったです。
東を脱出するのに30分、西に入るのに炎天下で30分。
タオルも飲み物も無しで攻略するには厳しすぎました。
そして大振りのクリアポスターは入手できず。
内心毒づきましたよ、姉に。
フラフラになってスペースに帰るとネフやS井、N村の姿が。
ブルーノートもきてくれましたね。
その後あるごるも来たのであまり溜まってると迷惑だろうから
退散することに。
いない間にあきばおーこくの人が委託の誘いに来てたり、
未だ正体不明の女性が尋ねてきたりあったそうですね。
nagireoとあるごると西にいって企業ブースへ。
イシダ氏は会うのは3年ぶり位だったので、識別に時間がかかりました。相変わらずで何より。
奥にいた弟子くんも生きていたのでよかったですよ。
コスプレを見て退散してなんとか駅へ。
nagireoにスイカをもらいました。本当はいけないらしいですが。
後で考えると、これがなかったら死んでいたかもしれませんね。
品川駅でだべることにしたので、品川で下車。
16:00くらいだったのかな、ここから割と熱中病寸前でした。
ロイホを探して三千里、アスファルトを上ったり下ったり。
歩くこともしんどくなり、あるごる先生に荷物をもってもらいました。
nagireoといい二人とも丈夫で羨ましいですね。
結局アンミラ入って休んだらロコツに体力回復。
値段が高いのは鑑賞代も込みなのか。納得。
そこであるごると別れてnagireoと浅草へ向かう。
向かう途中で秋葉原で下車。
分刻みのスケジュールで乗り切り、なんとか浅草に間に合った。
何をしたかはあまり書きたくないですねえ。
浅草で遠藤とガムと合流。
太田への特急になんとか4人で乗り込み、18:15に出発
marioさんと連絡がとれ、20:18に伊勢崎着とのことで、
太田に着いたらタクシーで家まで帰り荷物だけ置いて伊勢崎へ。
道中の車内で群馬をひとしきり馬鹿にされる。
marioさんを15分ほど待たせてしまうが、なんとか到着。
チョーハンで焼肉。美味しかったですねえ。
mario節が聞けて本当によかったです。
帰ってからは遠藤とmarioさんにプレゼントを頂きました。
べ、べつに欲しくなんてなかったんだからね!えへへ。
その後は遠藤への嫌がらせ、いや実はみんな結構期待してたのかな?
ゼロの使い魔を13話まで一気に鑑賞。
オレは最後の2話だけ力尽きました。
ニヤニヤするのを遠藤に見られないように必死でした。
後でもう十回見ます。
遠藤はタバサ萌えらしいですよ、○○さんと戦うとまで言ってましたねえ。
あとはmarioさんの反応が本当に楽しかったですね。
何度も出てきたゼロ厨って単語は存在してますね。
ググったら弟子とガムの日記が上位に来てますが。

今日は普通に温泉行ったりゲーム自販機を堪能したり。
marioさんの、nagireo、フォフォフォ、ガムの4人は
本当にありがとう&お疲れさま。

長文なので文字数数えたら8000字超えてた。
書き始めたの12:30だったような…。

全部読んでくれた方、
べ、別に感謝なんてしてないんだからね!
記念にコメントでもどうですか。

あー痛きもちいいなあ。

コメント

ブルーノート
ブルーノート
2007年8月19日21:18

一人一人が楽しんでくれたらスタッフは報われるのです。
完売おめでとうございます。

言いそびれたけど、合格おめ。
これで遊べるようになるね。

黄
2007年8月20日1:43

スッタフ乙&ありがとう。
今度またスロでも打つべーか。
黄

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